【仙台の国際化と外国人の文化の違い】韓国生まれの行政書士が思う仙台の今後
- 丸孝行政書士事務所
- 6月1日
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更新日:6月6日

丸孝行政書士事務所
行政書士 加藤孝民
こんにちは。本日は韓国生まれの行政書士である私の視線で、私の生い立ちと宮城県そして仙台市の国際化についてお話をさせていただきます。少し長い文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私は韓国のソウルで生まれ宮城県角田市で育ちました。その後、東京、大阪、愛知、大分、沖縄と多くの地域を巡り、様々な人々や文化、暮らしの違いを体感してきました。そのように多様な経験を経て、改めて地元である宮城の魅力に気づかされました。
自然の美しさ、人の温かさ、そして地域の歴史と文化の奥深さ。どこにいても、この土地の素晴らしさが心に染み入ります。だからこそ、私は宮城に戻る決意をしました。行政書士として、そして一人の地元の人間として、この地域に貢献したいという強い想いがあったからです。
地域ごとの違いを目の当たりにし、改めて「宮城こそが自分の根を張るべき場所だ」と実感しました。ここでなら、自分の経験や知識を最大限に生かし、外国人の方々や地域の皆さんが安心して暮らせる社会づくりに寄与できると確信しています。
街の風景も、かつて私が若かった頃とはずいぶん変わりました。特に、外国籍の方々の姿が目立つようになり、看板には多言語が並び、多国籍の飲食店やショップが増えています。仙台は確かに「国際都市」としての顔を持ち始めているのです。これは感覚だけでなく、数字にも表れています。
2024年末時点で仙台市の外国人住民は1万6千人を超え、10年前と比べると約1.8倍の増加です。国籍は中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ネパールなどが多く、在留資格も技能実習や特定技能、留学、高度専門職、永住など多岐にわたります。仙台は外国人にとっても暮らしやすい都市となりつつあります。
国の少子高齢化と労働力不足の課題を背景に、外国人材の受け入れが積極的に推進されています。地方都市に人材が分散されるよう、制度の整備や支援策も進んでいます。病院や大学などの都市機能が集積し、自然とも調和している仙台は、外国人にとって魅力的な土地です。今後も外国人住民は増え続け、それに伴い制度や支援の充実が求められるでしょう。
韓国で生まれた私としては、仙台に韓国人を含めそのほかの外国人の方が増えていることを心から嬉しく思っています。言葉や文化を共有する同胞がこの地で暮らし、学び、働いていることは誇りであり、頼もしさを感じます。
ただ、文化の違いからくる誤解もあります。韓国では会話の際に声が大きくなることが普通で、感情を率直に表すことは良いこととされます。一方、日本では公共の場で静かにすることが美徳とされるため、そうした振る舞いが「うるさい」「マナーが悪い」と誤解されることがあります。
このような誤解は、相手を思いやっていないわけではなく、文化的背景の違いによるものです。外国人の方々が日本で暮らすうちに地域の習慣やマナーを自然に身につけていく姿を私は見てきました。誰もが日々の経験の中で変わっていけるものなのです。
同時に、日本人が外国で暮らす場合も同じことが言えます。例えば韓国では、茶碗を手に持って食べることはマナー違反とされ、日本人のその所作は「マナーをわきまえない」と見られることがあります。文化の違いとはそういうものです。
私は行政書士として、外国人の在留申請や永住許可、帰化申請の支援を行っていますが、制度の説明だけでは不十分だと感じています。その人がどこから来て、何を思い、どのように生きようとしているのかを理解することが重要だと思います。書類一枚の重みの裏には、その人の人生があるのです。
法務の専門家として、文化の翻訳者でありたいと願っています。違いを排除せず、理解し、橋渡しをする。今こそ、その役割が強く求められているのです。
私の父は韓国人であり、韓国で生まれた私は、外国人の移住と共生に強い関心を持っています。行政書士としての専門知識を活かし、仙台市、宮城県、そして東北全体が外国人が安心して暮らせる地域となるよう尽力したいと思っています。多様な文化が共存し、互いに支え合う社会の実現に貢献することが私の使命です。
仙台はこれから本格的に国際都市として成長していきます。単に外国人を受け入れるだけでなく、共に暮らし支え合う地域社会を築いていくことが求められています。そのための制度と人の想い、この両輪が不可欠です。
角田で育ち、宮城に戻り、多くの地域で経験を積んだ私だからこそできることがあると信じています。すべての人が文化や国籍を超えて安心して暮らせる社会を目指し、これからも法と人の間に立ち続けていきたいと思います。